[1930 第9回極東大会優勝]
「当時、名古屋でテニスをやっている女子は私1人。男の方に交じって練習したのがよかったんでしょうね」。
愛知県小牧市の自宅を訪ねると、小林さんはそう繰り返した。70年以上も前の出来事だけに、記憶が薄れている部分もあった。だが、当時の写真を広げると、顔がパッと明るくなり、饒舌になった。写真をお借りする際、「これしかないの。大事な写真だから、絶対返してくださいね」と、何度も念を押された。優勝カップは戦時中、「武器にするため」と言われ、すべて手放したという。写真には選手時代の小林さんの思い出がつまっていた。
小林さんは全日本女子庭球選手権のシングルスで1928年(昭和3年)から4年連続で決勝に進み、30年と31年に優勝。ダブルスも2回制している。今年83回目を迎える毎日庭球選手権(毎トー)の女子シングルス第1回覇者でもある。
両親の影響で5~6歳の時にラケットを手にした。父清作氏は愛知淑徳高女(現愛知淑徳高校)の創立者。「知子」という名前は校名から1字取って名付けられた(ちなみに小林さんの姉妹の名は「愛子」「淑子」「徳子」)。小林さんは学校のコートを遊び場にしながら自然に上達していった。
26年(大正15年)、同女学校5年生の時、軟式テニスの日本一を決める明治神宮競技大会の軟式の部で優勝した。東京や大阪の大会で勝ち星を重ね、優勝カップは8個になった。
父の勧めで卒業後は硬式に転向。近くの名古屋ローンテニスクラブに交渉し、手ほどきを受けることになった。だが、女子は小林さんただ1人。
「それが良かったんでしょうね。男子の方が上手だから。毎日朝から晩まで打ち合うことで腕を磨きました」。
得意なショットはバックハンド。軟式風の粘るテニスでベースラインプレーヤーだった。31~55年(昭和6~30年)まで全日本で活躍した故朝長慶子(旧姓新納)さんは「トモちゃんは機械のような正確なテニスをする選手だった」と話していた。
父からは「人が1本打ったら10本打たなきゃダメ。一生懸命なのは皆一緒。人の何倍も練習しないと勝てるようにはならない」と教えられた。練習に対する姿勢は厳しかった父も、娘の試合は落ち着いて見ていられなかったようだ。「試合中、父の方を見ると、あっち行ったりこっち行ったりうろうろと動き回ってばかりいた」と話す。そんな父は小林さんが優勝カップを持って帰ると、誰よりも喜んだという。
28年(昭和3年)、初出場した全日本の準決勝で、第1シードの滝口澪子さんに6-4、6-1で勝って決勝に進んだ。決勝は大阪の戸田定代さんに3-6、2-6で敗れたが、初挑戦の手ごたえは大きかった。翌年は決勝で滝口さんに6-3、3-6、7-9で惜敗。同年10月8日付の東京日日新聞(現毎日新聞)には《双方ともヘトヘトになつた程の長時間の乱戦で予定のダブルス決勝(小林さんは朝吹磯子さんとの複は優勝)の時間に喰いこみこれは翌日に延期された》とある。シングルス初優勝はお預けとなったが、その翌年の決勝で、戸田さんに6-2、6-3で雪辱し、全日本チャンピオンに輝いた。
全日本と毎トーのシングルスを制した30年(昭和5年)、小林さんは朝吹さんとともに第9回極東大会に出場した。小林さんと朝吹さんは前年の全日本のダブルスで初優勝を果たした息の合ったペア。2人は白いハチマキに白いタイツ、特注で頼んだお揃いの白いワンピース姿で試合に臨んだ。日本チームは危なげなく勝ち進み、決勝では中国チームに圧勝して優勝を飾った。「海外の選手と対戦するのは初めてでしたが、あがることはなかったですね。ラケットの持ち方が違うなと感じたのを覚えています」。初めての国際試合、しかも優勝でき、数多く手にしたタイトルの中でも「最も思い出に残る試合」となった。
硬式に転向して3年余りでナンバーワンとなった小林さん。31年(昭和6年)の全日本でも、3歳下の林(現姓神谷)美喜子さんに7-5、7-5で競り勝った。若手で伸び盛りの林さんに追い上げられたものの、コントロールと粘りで上回った小林さんが接戦をものにした。8月30日付の東京日日新聞には次のような記事が掲載された。
《小林のコントロールは非常によくスピードもあり元気もありマッチ全体を支配した、林快足を利してヂリヂリ攻める小林の攻勢によく耐えたがコントロールの試合では小林の方が一番上である、林がスピードのあるドライヴを思い切つて打つて行つたら血路を見出したであらう、また小球を使へれば小林の聖域を乱し得たであらうがゲームのこつは小林にまだ軍配を挙げ得る》
トップの地位を確固たるものとしたが、この試合を最後に引退した。150cmと小柄な小林さんが活躍できたのは「人の10倍努力するように」と言った父の教えがあったからだと信じている。
【取材日2003年2月19日】愛知県小牧市のご自宅にて
本文と掲載写真は必ずしも関係あるものではありません
プロフィール
小林 知子(こばやし・ともこ)
主な戦績
- 1928、29年、全日本シングルス準優勝。
- 30、31年同優勝。
- 29、31年同ダブルス優勝。
- 30年の第9回極東大会優勝。