English

  • 標準
  • 特大
サイト内検索 検索

お問い合わせ

english

山川 道子さん

[1942 全日本選手権兼明治神宮大会]

山川 道子さん

木全豊子さんの取材をしていると、「大阪の伊勢さんには会った?」と紹介され、電話でアポイントを取ってくれた。お陰で貴重な話しを聞くことができた。山川(現姓伊勢)道子さんが活躍したのは、テニスをすることもままならない戦争のまっただ中。ボールは配給で、用語は日本語に置き換えられていた時期だ。小学6年でラケットを握ってからテニス歴は70年近く。戦前、戦中、戦後に渡って繰り広げられた加茂幸子さんとのライバル対決が印象深いという。おっとりした口調で「テニス、好きですね。一生やり続けたい」と語る山川さん。テレビ観戦も好きで、「ダベンポートの頑張りを感心して見ている」と話す。

3人の兄は全日本ジュニアチャンピオン、姉も全日本プレーヤーというテニス一家に育った。ガラス製造会社を経営していた父迪吉さんが「子供たちが一生できる競技を」と、大阪府池田市の自宅にコート1面と板打ちスペースをつくって楽しんだという。小学生の山川さんは兄や姉がプレーする横で板打ちをするうちに、みるみる上達。元全日本チャンピオンの藤倉五郎さんとのペアで活躍した三番目の兄恵三郎さんとともに、父の期待を背負うようになった。


腕を上げた山川さんは、父兄姉が会員だった甲子園クラブの「早起き会」にも通い始めた。朝6時ごろから主に30~40代のメンバーとシングルスをして、ご飯とみそ汁と卵が付いた10銭の朝食を食べてから女学校に登校した。だが、「朝はもちろん、学校帰りにもテニスに行かないと『今日は練習しなかった』と父の機嫌が悪くなった」と振り返る。


ライバルは同じくテニス一家の加茂姉妹。「試合に行くと加茂さんのお父さんがいつもいらして、杉の木陰からじっと見ている。また見てはるわ、と思ったことが記憶に残っている」と語る。

加茂家の二女幸子さんとは誕生日が2カ月違い。試合はいつも接戦になった。東京の田園クラブで行われた試合では、1本のラリーが1時間近くつながったことがあった。隣で試合をしていた木全豊子さんが、試合を終えてお風呂に入って出てきても、まだラリーが続いていたという。「確かこのポイントは短い球を返球しようとした幸子さんがミスをして終わったはず。試合には勝ちましたけど、手が痛くて上がらなくなりました」。


1940年の全日本選手権では加茂家の長女純子さんに準々決勝で敗退。その後は次第に戦争が暗い影を落とし始めた。翌年は全日本選手権や各種大会は中止となった。秋の明治神宮大会は田園コートで開かれたが、英語の審判用語が一部日本語に置き換えられた。同年12月、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が開戦。42年の全日本は明治神宮大会も兼ねて行われた。16歳の山川さんは準決勝で幸子さんと対戦。第1セットを2-6で落としたが、「途中から雨で中断になったの。翌日は幸子さんの出足が悪くて。それで勝たせてもらった」という。運も味方して2-6、6-3、6-2の接戦を制した。


決勝の相手は2年前の覇者で同じ甲子園クラブの沢田住さん。「ファイト満々の方で、集中力がすごくてボールに食らいついてくる。足が速くてどんなに振り回してもロブで返してきた」。

山川さんは得意のフォアで対抗し、6-2、6-2で初優勝を飾った。だが、内容が気に入らなかったのか、「父の機嫌が悪かったのを覚えています」と語る。


翌年から45年まで、大会は中止となった。とてもテニスをできる状況ではなかったが、大阪ガスに勤務しながらプレーを続けることができた。ガスタンクのある工場敷地内にアンツーカーのコートがあったが、「靴はぼろぼろで穴が開いていたし、ボールはすり切れてがりがり。針金で起毛して使ってました」。

終戦間際には空襲に遭い、亡くなった人が横たわる間近を歩いて帰ったこともあったという。


終戦翌年の46年に全日本選手権が再開。同年と48年に今度は幸子さんに決勝で雪辱された。だが、清水弥次郎さんとのペアで混合ダブルスを2回、井上早苗さんとのペアで女子ダブルスを1回制した。「このころは父もうるさく言わなくなっていた。三番目の兄が戦死したせいでシュンとなってしまってね」。

10代後半の1番脂の乗った時期に戦争でキャリアを中断させられたが、結婚後もずっとテニスは続け、都市対抗などに出場していた。「プライドがある方は、遊びのテニスはあまりやらないようですけど、私は面白くて。こんな年までテニスが好きでやっているのは仲間作りができるからね。今はコートが社交の場になっています」。


05年、山川さんからいただいた年賀状には「もうすぐ80歳というのに、週二、三回コートに通い、60、70代の若きメンバーにあそんでもらっています」と書かれていた。


【取材日2003年2月18日】
本文と掲載写真は必ずしも関係あるものではありません
山川 道子さん

プロフィール

山川(現姓:伊勢) 道子 (やまかわ・みちこ)

  • 1925年(大正15年)12月生まれ。
  • 大阪府池田市出身。

主な戦績

  • 42年全日本選手権単優勝。
  • 46年同準優勝。
  • 46、48年同混合優勝。
  • 47年同複優勝。

ページトップへ

本サイトで使用している画像・テキスト・データ等すべてにおいて無断転載、使用を禁じます。

公益財団法人日本テニス協会
〒160-0013 東京都新宿区霞ヶ丘町4-2
Japan Sport Olympic Square 7階