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高木 陽子さん

[1962 全日本選手権シングルス準優勝]

19歳上の宮城黎子さんと10歳下の沢松(現姓吉田)和子さん。2人の女王にはさまれていたのが高木(旧姓小幡)陽子さんだ。40歳を超えても君臨し続ける「鉄人・宮城さん」への打倒を合言葉に、66年に全日本タイトルを奪取。すると翌年は高校生の沢松さんに女王の座をさらわれた。その後も1度もやめずに試合に出続けているという。

「だって楽しいから」。兵庫県芦屋市のテニスクラブで話を聞いた高木さんは「テニスが好き」というオーラを発していた。


日本が初めて参加したフェドカップの開会式

日本が初めて参加したフェドカップの開会式


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初めてのフェドカップ出場は左から、小幡さん、黒松和子さん、宮城黎子さんの3人

初優勝よりも敗戦の方が強烈な印象に残っている。

当時、圧倒的な強さを誇っていた宮城黎子さんとの対戦。高木さんは62年秋の全日本選手権のシングルスで初めて決勝に進んだ。準決勝で元全米トップ10のドロシー・ノードさんを破る番狂わせを演じる。

「どうやって勝ったのか分からないんですが、すごく寒くてファイナルセットに入る前、紅茶を飲んで体を温めたことをよく覚えています」


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彼女は夫の仕事の関係で来日し、女王宮城さんも苦手意識を持っていた。接戦をものにすると、決勝で顔を合わせる宮城さんが声を弾ませた。「うれしいわ。ノードさんに勝ってくれて」。

それを聞いた途端、がくっと力が抜けた。戦う前から勝負は決まったようなものだった。大学生の高木さんは大きなタイトルとは無縁。7連覇を狙う40歳の宮城さんとは心の余裕が違った。決勝は大阪・うつぼ公園のセンターコート。足を踏み入れただけで平常心ではいられなくなった。

高木さんは「後ろで同じ甲子園クラブ出身の戸田定代さん(36年全日本覇者)が声を掛けてくださったんですが、あがってしまったんでしょうね。そんな大きな試合の決勝に出たことないから何をしたのか全然覚えていない。6-0、6-0で40何分で負けてしまった」と振り返る。

だが、記録を見ると6-0、6-2になっている。

「そうですか?6-0、6-0で負けたと思ってたけど。とにかくあっという間に終わってしまった」


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宮城さんとはそれまで何度か対戦し、だんだんスコアが競ってきていた。「もうちょっとや、と周りに励まされていたのにがっくりです。そろそろ勝たなあかんと思っていたら、また離されてしまった」

宮城さんは足が速く、ドロップショットもうまくて自信に満ち溢れていた。「こんなん負けへんわって感じで。宮城さんってだけで私たちはだめだった。そういうことってあるでしょう」。


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それでも高木さんは翌63年、全日本のダブルスで初優勝。さらに、65年に黒松(現姓高橋)和子さんが宮城さんを破って全日本を制したことで「そろそろいけるかも」と手ごたえを感じた。

66年の全日本。ドローを見ると同じブロックに沢松さんの名前があった。「今年も全日本はあかんかな」と思う。「和ちゃんには絶対勝てない。150センチの私より身長が20センチも高くて手足が長く、打っても打っても返ってくる。私はバックが苦手でフォアでまわりこんでいたんですが、彼女はまわりこめないところに打ってくる」。


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ところが、沢松さんは高木さんとあたる前に負けてしまった。決勝は宮城さん。「さすがの宮城さんも、この頃は試合を重ねると疲労が見えていた。そろそろ勝たなあかんと思った」。


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66年、全日本テニス選手権優勝

4年前と同じ、うつぼ公園コート。もう緊張してあがることはなかった。6-1、6-2の圧勝。どんなにリードしても「握手するまでは」と言い聞かせた。「私のすることなすこと決まって快適に勝った。宮城さんにはいつもドロップショットをやられていたが、この時は私の方がうまく決まった」。

中学で軟式を始め、高校1年で硬式に転向した高木さん。とにかく「打て打て」と攻撃を教え込まれた。高校時代は高校総体にも出られず、全日本学生もタイトルを取れなかった。ようやく手にした全日本のシングルスタイトル。それでも、「この優勝より、宮城さんに決勝で負けた方が思い出に残っている。あの時は表彰式も逃げ出したかった」。


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宮城さんに負けないくらい高木さんも息の長い選手だ。結婚後もダブルスを中心に全日本に出続けた。40歳を過ぎてからはベテランの部に出場している。

元チャンピオンだけに、衰えは怖くないのか?

「それは仕方ないじゃない。でも、昔よりできるようになったことも。全日本優勝した時はバックはほとんど打てなかったけど、今はバックの方が楽やね。和ちゃんのボールも今ならノーバウンドで取るのにって思う」。

コートに立つのが心から楽しそうだった。


本文と掲載写真は必ずしも関係あるものではありません

プロフィール

高木 陽子 (たかぎ・ようこ)

  • 1941年4月生まれ
  • 兵庫県出身。
  • 同志社女子大卒。

主な戦績

  • 66年全日本選手権シングルス優勝。
  • 63年ダブルス優勝。
  • 64、65年フェド杯代表。

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