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日本テニス国際化の時代

日本テニス国際化の時代

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明治30年代に盛んになった庭球(テニス)では軟球(ゴムボール)が使われていた。
硬球(レギュレーション、国際大会公認球)を使用するようになったのは、 大正に入ってからのことである。
やがて国際舞台に登場した熊谷一彌、清水善造は、 日本のデ杯初出場を果たし、オーストラレシアを破って カップ保持国アメリカに挑戦する。
それは「スポーツ」が世界共通語になっていく時代でもあった。

明治から大正へ 「日本庭球協会」設立の発端とデ杯初参加
慶応庭球部のレギュレーション採用と熊谷一彌 チャレンジ・ラウンドに進出してアメリカに善戦
熊谷、三神の米国テニス行脚 第1回全日本選手権開催、国際庭球連盟に加盟
インドで活躍する清水善造 テニスを生涯の友として
1920(大正9)年、国際舞台へ登場 ブランク

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