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日本テニスの年表

1878(明11) 横浜・山手公園内に外国人居留者の専用クラブとコートができる
1879(明12) 文部省の体操伝習所で、米国人教師リーランドがテニスを紹介か
1885(明18) 15歳から米国留学中の樺山愛輔が、コネティカット州ウエスレーヤン大でテニスを始める
1886(明19) 東京高等師範学校(現筑波大)にローンテニス部誕生
1897(明23) 東京高師の依頼で三田土ゴムが国産ゴムマリ開発。軟式(現ソフトテニス)が全国に普及
1900(明33) 東京ローンテニス倶楽部が誕生。日本人がプレーできる国内最初のクラブ
1913(大2) 慶応大が硬式(現テニス)を採用。マニラに遠征
1916(大5) 熊谷一弥が渡米。全米2位のジョンストンを破り全米5位に
1918(大7) 熊谷一弥が全米でベスト4進出
1919(大8) 熊谷一弥が全米4位のマレー、2位のチルデンを破り全米3位に
1920(大9) アントワープ五輪で熊谷一弥が単銀メダル、柏尾誠一郎との複でも銀メダル獲得。日本五輪史上初のメダル
清水善造が日本人初のウィンブルドン出場。オールカマー制度の決勝(現準決勝)に進出
1921(大10) 熊谷、清水、柏尾の3選手で日本がデ杯初参加。チャレンジラウンドに進出し米国に敗退
清水善造がウィンブルドンでオールカマー制度準決勝進出。世界4位に
1922(大11) 日本庭球協会(現日本テニス協会)創立。初代会長は朝吹常吉
全日本選手権(男子)開始。初代単優勝は福田雅之助
1923(大12) 日本庭球協会がILTFに加盟
全日本ランキング制度開始
1924(大13) パリ五輪で原田武一がベスト8進出
全日本選手権女子開始
1925(大14) 福田雅之助がイースタングリップを紹介
1926(大15、昭元) デ杯インターゾーン決勝に進出。フランスに敗退
原田武一が全米3位、世界7位に
1927(昭2) デ杯インターゾーン決勝に進出。フランスに敗退
1931(昭6) 佐藤次郎が全仏ベスト4。ウィンブルドンでベスト8進出
1932(昭7) 佐藤次郎がウィンブルドンでベスト4進出
1933(昭8) 佐藤次郎がウィンブルドン単ベスト4、複では布井良助と組んで決勝進出。世界3位に
1934(昭9) 三木龍喜がウィンブルドン混合でドロシー・ラウンド(英)と組んで優勝。4大大会日本人初のタイトル
1939(昭14) 日中戦争に鑑みデ杯参加中止
1941(昭16) 全日本選手権はじめ主要競技会中止。日本は米英に宣戦布告
1942(昭17) 日本庭球連盟の上部団体、大日本体育協会解散。国家統制組織、大日本体育会となり、庭球協会も解散し、その中の「庭球部会」となる
1944(昭19) すべてのスポーツ活動中止
1945(昭20) 旧日本庭球協会復活。日本は連合軍に無条件降伏
1947(昭22) 全日本選手権に天皇杯下賜される
1950(昭25) ILTFに復帰が認められる
1951(昭26) 12年ぶりにデ杯復帰。米国ゾーン1回戦で米国に敗退
1952(昭27) 加茂幸子が日本女子として初めて全米に出場
1955(昭30) 全米選手権の男子複で宮城淳、加茂公成組が優勝
1958(昭33) 第3回アジア競技大会東京で開催
1959(昭34) 皇太子(今上天皇)のご成婚奉祝テニス大会を両殿下ご臨席のもと、国立コートで開催
1964(昭39) フェデレーション杯日本女子初参加
1965(昭40) 全日本室内選手権創設
春の叙勲で熊谷一弥、秋の叙勲で清水善造が勲四等旭日小綬章受賞
1966(昭41) 日本庭球協会が熊谷、清水に庭球功労最高栄誉賞を贈る
1967(昭42) 沢松和子が16歳で全日本室内、全日本に史上最年少で優勝
第5回ユニバーシアード東京で開催
1968(昭43) 福田雅之助が勲四等瑞宝章受賞
1969(昭44) 沢松和子が全仏、ウィンブルドンの両ジュニアで優勝
1971(昭46) デ杯東洋ゾーンAセクション決勝で、50年ぶりに豪州を下す
石黒修がプロ転向(戦後初)
原田武一が勲四等瑞宝章受賞
1972(昭47) 日本庭球協会が初のオープン大会「ジャパンオープン」開催
1973(昭48) 女子の東レシルック(現東レ・パンパシフィック)大会開始
神和住純がプロ転向(戦後初のツアープロ)
1974(昭49) プレーヤーズ制度導入で日本体育協会と折衝決定
1975(昭50) 沢松和子がウィンブルドン複でアン・キヨムラ(米)と組んで優勝
1977(昭52) 全日本ローンコート選手権新設
1978(昭53) 男子のセイコースーパーテニス開始(95年まで)
1980(昭55) 日本庭球協会が「財団法人 日本テニス協会」に変更
1981(昭56) デ杯ノンゾーナル1回戦でスウェーデンに敗退
フェデレーション杯を東京・多摩川園ラケットクラブで開催
川廷榮一が国際テニス連盟理事に就任
1983(昭58) 全日本選手権女子で雉子牟田明子が15歳4カ月の史上最年少優勝
有明テニスの森公園完成
皇太子(今上天皇)ご夫妻をお招きして、協会創立60周年記念祝賀会開催
1984(昭59) デ杯イースタンゾーン決勝でパキスタンを破り優勝
1985(昭60) デ杯世界グループ初戦で米国に敗退。プレーオフでスペインに敗退
第13回ユニバーシアード神戸で開催
第1回ワールドユースカップ(16歳以下国別対抗戦)神戸で開催
1986(昭61) 第2回ワールドユースカップ東京で開催
1987(昭62) 有明コロシアム完成(91年に開閉式屋根がつけられる)
1988(昭63) 五輪アジア・オセアニア予選、大阪で開催
1989(昭64、平元) 全日本選手権男子で谷沢英彦が17歳9カ月の史上最年少優勝
田園コロシアム解体
1991(平3) 東京・朝日生命スポーツセンター内にナショナル・トレーニングセンター(NTC)設置
川廷榮一が国際テニス連盟副会長に就任
第1回ワールドジュニアテニス(14歳以下国別対抗戦)山中湖で開催
1992(平4) 松岡修造が韓国オープンで日本男子初のツアー優勝
松岡修造が日本男子過去最高の世界46位に
秋篠宮殿下協会名誉総裁に
秋篠宮殿下をお招きして協会70周年祝賀会
1994(平6) 伊達公子がジャパンオープン3連覇
伊達公子が世界5位に
フェデレーション杯で日本女子初のベスト8進出。95年世界グループ入り決定
第12回アジア競技大会広島で開催
1995(平7) 伊達公子が全仏で4大大会日本女子史上初のベスト4進出
伊達公子が最終世界4位に。ツアー制度では日本選手最高位
松岡修造がウィンブルドンで日本男子62年ぶりのベスト8進出
沢松奈生子が阪神・淡路大震災で実家半壊の中、全豪ベスト8に進出
中牟田喜一郎副会長が第10代日本テニス協会会長就任。小坂徳三郎会長は名誉会長に
阪神・淡路大震災で辰馬龍雄協会副会長死去
第18回ユニバーシアード福岡で開催
1996(平8) フェド杯世界グループ初戦でドイツを破る大金星。伊達が日本女子で初めて世界1位のグラフを破る
伊達公子が日本女子初のウィンブルドン・ベスト4進出
伊達公子が引退
小坂徳三郎名誉会長死去
1997(平9) 平木理化が全仏混合でマヘシュ・ブパシ(インド)と組んで優勝
松岡修造引退を表明(98年ジャパンオープンが最終試合)
杉山愛がジャパンオープン初優勝
1998(平10) 沢松奈生子が引退
JTA、国内テニス関係12団体、選手代表で「日本テニス振興協議会」結成。秋分の日を「テニスの日」と定める
1999(平11) 杉山愛が全米混合でブパシと組んで優勝
秋篠宮殿下をお迎えしてデ杯創設100周年祝賀会
2000(平12) 杉山愛が、全米でジュリー・アラール・デキュジス(フランス)と組んで優勝。同ペアでウィンブルドンも準優勝
盛田正明ソニーライフ特別顧問が第11代日本テニス協会会長就任。中牟田喜一郎会長は名誉会長に
2002(平13) 杉山愛が、ウィンブルドンでキム・クライシュテルス(ベルギー)と組んで準優勝
2002(平14) アジア競技大会釜山で、男子団体が28年ぶりの金メダル
フェド杯世界グループ・プレーオフ対コロンビア戦を相手国の政情不安で棄権
2003(平15) 杉山愛が、全仏とウィンブルドンでクライシュテルスと組んで優勝
杉山愛が、伊達以来2人目の日本選手シングルス・トップ10入り(10位)。単複同時トップ10は初の快挙
協会創立80周年祝賀会開催
2004(平16) 杉山愛がウィンブルドンで96年伊達公子以来日本女子史上2人目のシングルス・ベスト8に進出
アテネ五輪女子ダブルスで杉山愛/浅越しのぶ組が4位に入賞
デ杯で74年ぶりにインドを破り、世界グループ・プレーオフに進出
2005(平17) 鈴木貴男、岩渕聡組がAIGジャパンオープンの男子ダブルスで優勝。日本男子ペアとしてツアー初優勝の快挙
森田あゆみが15歳8カ月の史上3番目の若さで全日本選手権初優勝
2006(平18) フェド杯で97年以来の世界グループ・トップ8復帰
AIGジャパンオープンに史上最多7万2385人の観客が殺到
車いすテニスで、日本人史上初めて国枝慎吾がシングルス世界1位の快挙を達成した
浅越しのぶ、小畑沙織が引退
2007(平19) デ杯でルーマニアに2-3で敗れ、23年ぶりの世界グループ復帰を惜しくも逃す
AIGジャパンオープンで史上初めて日本人選手がシングル全員初戦敗退
車いすテニスで、史上初めて国枝慎吾が年間グランドスラム達成の快挙
2008(平20) 錦織圭が2月のデルレービーチ国際で92年松岡修造以来、日本男子史上2人目のツアー優勝。全米でも日本男子71年ぶりの4回戦進出
クルム伊達公子が、5月に12年ぶりの現役復帰。11月の全日本選手権では16年ぶりに優勝
寺地貴弘、佐伯美穂が引退
中牟田喜一郎名誉会長が死去
2009(平21) ジャパンオープンの冠スポンサーに「楽天」
ジャパンオープンの女子がWTAツアーから外れ、ツアー下部大会のITF女子サーキットに格下げ
杉山愛が樹立した4大大会シングルス本戦62回連続出場の世界記録がギネスに認定
WTAツアー大会として大阪にHPオープンを創設
本村剛一、岩渕聡、茶円鉄也らが引退
杉山愛、森上亜希子らが引退
2010(平22) クルム伊達公子がHPオープンで準優勝。WTAツアー決勝進出の最年長記録を達成
米村知子が引退
2011(平23) 東日本大震災の影響でいくつかの国際大会が中止となる
デ杯で日本が27年ぶりの世界グループ復帰を決める
錦織圭が11月のスイス室内でノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破り、日本男子初の世界1位を撃破
錦織圭が松岡修造の持つ日本男子世界最高46位を更新し、自己最高の25位となる
畔柳信雄三菱東京UFJ銀行取締役会長が第12代日本テニス協会会長就任。盛田正明会長は名誉会長に
2012(平24) 錦織圭が楽天ジャパンオープンで日本男子初優勝の快挙
添田豪がデ杯世界グループで日本男子初勝利を飾る
日本男子が3人、ロンドン五輪に出場
中村藍子が引退
2013(平25) デ杯で日本が世界グループ復帰を決める
錦織圭が5月のマドリードオープンで、ロジャー・フェデラー(スイス)を破る
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催が決定。有明コロシアムおよび有明テニスの森公園の改修が決まる
川廷栄一元副会長が死去
高雄恵利加が引退
2014(平26) 錦織圭が全米でアジア男子初のシングルス準優勝の快挙
日本男子として初めて世界ランキング10位以内となり、年末を世界5位で終えた
デ杯で日本が1981年に世界グループができて以来、初のベスト8に進出
第17回アジア競技大会仁川テニス競技の男子シングルスで西岡良仁が40年ぶりの金メダルを獲得
奈良くるみが2月のリオオープンで自身初のツアー優勝
2015(平27) 錦織圭が3月に世界4位となり、クルム伊達公子が持つ世界ランキング日本人最高位と並ぶ。世界8位で15年を終え、2年連続で年末トップ10入り
日比野菜緒が10月のタシケントオープンで自身初のツアー優勝
土居美咲が10月のルクセンブルクオープンで自身初のツアー優勝
瀬間友里加が引退
2016(平28) 錦織圭がリオデジャネイロ五輪のシングルスで銅メダル。熊谷一弥以来、日本テニス界96年ぶりのメダル獲得
大坂なおみが日本人初のWTAツアー最優秀新人賞を受賞
近藤大生が引退
日本プロテニス協会の創設者、石黒修元評議員が死去
2017(平29) 杉田祐一がアンタルヤオープンで日本男子3人目のツアー優勝
伊達公子が2度目の引退
元デビスカップ代表選手で、55年全米選手権(現オープン)で宮城淳と組んで男子ダブルスに優勝した加茂公成氏が死去
2018(平30) 大坂なおみが全米優勝。日本選手として史上初の4大大会シングルス制覇となった
ダニエル太郎がイスタンブールオープンで日本男子4人目のツアー優勝
西岡良仁が深圳オープンで日本男子5人目のツアー優勝
穂積絵莉、二宮真琴組が、全仏女子ダブルスで、日本女子同士のペアとして初めて4大大会決勝に進出

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